※はじめに
今回、過去の震災に関する内容がいくつか登場します。
センシティブな内容は無いとは思いますが念のため予告をいたします。
休日の過ごし方・時間の使い方って「これが正解」みたいな答えは無いのかもしれませんが、「有意義に使えていますか?」と聞かれると、未だに胸を張って「バッチリです!」とは言えない過ごし方をしている気がします。
休みの前日の夜、いつまでもダラダラと夜更かしして昼近くになって起きて朝昼兼用の食事をして、ようやく動き出せるのが午後といった感じの「ちゃんとしてる人」が見たら頭を抱えるような過ごし方が標準となってます(^_^;)
日中でしか出来ないことが色々あるというのに、午前中を丸々無駄にしているので、よろしくないのは分かっちゃいるんですけどねぇ・・・
あの日もそんな感じで遅く起きた朝でした。
まだインターネットもほぼ普及しておらず、スマートフォンなんて青いネコ型のロボットがポケットから出す道具レベルの夢物語だった1995年
当時、起きたらまずはテレビをつけるのが私のモーニングルーティーンでした。
画面に映し出されたのは所々から煙が立ち上る瓦礫の都市の空撮映像
1990年の湾岸戦争がまだ記憶に新しかった頃だったので、「また何処かで戦争始まっちゃったのかな・・・?」
まだ目覚め切らない頭でうっすらそんな事を考えながら眺めていると空撮のヘリコプターに乗り込んでいるレポーターが日本語で伝える状況とそこに出てくる日本っぽい地名が耳に入りはじめ
「あれ・・・もしかしてこれ日本?でもって何処かの都市が空爆された??」
1983年の日本海中部地震や1993年の北海道南西沖地震とか生まれて以来の国内での大地震は記憶にあるし、関東大震災の話も防災の日とかで沢山聞いてはきていましたが都市部で発生した被害状況を目の当たりにするのは初めての経験だったので私の発想が独特なだけなのかもしれませんが、即地震とは結びつかなかったものでした。
その後も国内外で度々大地震が発生して、その度に普段からの備えの大切さを伝えられて、「ちゃんと備えておかなくちゃだなぁ・・・」なんてその時には思いはするのですが、結局実行できていないまま、それどころか「まぁでもなったらなったでどうにかなるんでしょ。」なんて思っちゃったりしている始末でした。
そして迎えた2011年3月11日
昼休憩でのんびりしているところで地味に揺れ始め
「地震だねー」なんて他のスタッフと話をしてるうちに少し揺れが強くなり
「なんかのアトラクションみたいだねw」なんてお気楽な事を言い出したスタッフに
「確かにちょっと面白いけど、もういいかげん長くない?」って返した途端に更に強くなる揺れ
「これは流石にヤバいね!」とそれぞれに身を守る行動に入り揺れが収まるのを待ちました。
「いやぁ・・・なんだか思いのほか凄い揺れだったねぇ・・・」とか言いながら誰かが指示するとかでもなくそれぞれに避難経路の確保とかに動いていました。
こうやって改めて記事にしながら思い返してみると「ダルいなぁ・・・」なんて思いながら子供のころからやってきた避難訓練が役に立ってるなんてレベルじゃない位大事なんだなと気付かされますね。
そしてあの時はたまたま運良く実家が近かったので実家に頼ることができましたが、
「周辺の避難所ってどこだろう?」
「近所の学校に行けば、きっとそう!」
当時も今もこんな程度の認識でしか無いことに気付けたので、今度こそこの気持ちを忘れないうちに、日々の行動範囲の「ハザードマップ」を確認して万が一の事態に知識だけでも備えたいと思います。
「防災グッズも万全に!」と言いたいところですが、いつどこでどのように被災してしまうのか全くわかりようが無いし万全の装備で日々行動するのは不可能なので、そこは大変難しく悩ましいですよねぇ・・・
2024年の8月「南海トラフ地震臨時情報」が発表された際に何人かのお客様に
「被災しちゃった場合のメンテナンスどうしたらいい?」といった相談をいただきました
様々な状況及び事情によりけりなので、ここで一概にコレが正解!といったことは書けませんがこれを機にそういった事態に陥ってしまった場合の備えを考えてみるのも良いかもしれませんね。
お気軽にご相談ください。