髪を整えるという行為は、私たち人間の歴史とともに進化してきました。
現在、私たちが日常的に通う「理容室(バーバー)」や「美容院(サロン)」には、長い歴史と文化的背景があります。
今回は、日本と世界における理容室・美容院の起源や変遷をたどってみましょう。
目次
理容室と美容院の歴史 ~日本と世界をめぐる美と整髪の物語~
■ 世界における理容・美容のはじまり
理容の歴史は非常に古く、古代エジプトにまでさかのぼると言われています。
エジプトではすでに、剃刀を使って頭髪やひげを剃る文化が存在していました。
宗教的な意味合いも強く、清潔さと身だしなみが神聖視されていたのです。
古代ギリシャやローマにおいても、「トンスリア(頭頂部を剃る修道士の髪型)」など、理容は宗教や階級の象徴として機能していました。
中世ヨーロッパでは「バーバー・サージャン(理髪外科医)」という職業が存在し、髪を切るだけでなく、歯を抜いたり、外科手術まで行っていたというのは有名な話です。
この時代、赤・青・白の「バーバーポール(理容室の看板)」の起源もここにあります。
諸説ありますが赤は血、青は静脈、白は包帯を表していると言われています。
一方、美容という概念が強調されるようになったのは、19世紀以降。
フランスやイギリスの上流階級の女性たちは、サロンで髪を結い上げ、香水やメイクを施すことが「淑女のたしなみ」とされるようになりました。
■ 日本の理容と美容の発展
日本でも古くから髪を整える文化がありました。
奈良時代・平安時代には貴族たちが長い髪を大切に手入れしており、江戸時代には「髪結い職人」が登場します。
町人文化が花開いた江戸では、町人や武士、商人たちが定期的に髪を整え、整髪は身だしなみの重要な要素となりました。
特に江戸時代の「丁髷(ちょんまげ)」や女性の「島田髷(しまだまげ)」など、髪型はその人の身分や職業、年齢、既婚・未婚の区別を示す重要な記号でもありました。
髪結い処は、庶民にとっては情報交換の場であり、社交の場でもありました。
明治時代になると、西洋文化の影響で理髪のスタイルが一変。
ひげを剃る、短く髪を切るという西洋式のスタイルが流行し、ここで「理容師」という新たな職業が確立されていきます。
美容院の歴史はもう少し新しく、大正時代から昭和初期にかけて「美容術」が欧米から取り入れられ、徐々に広がっていきました。
最初は上流階級の女性を対象にした高級な場所でしたが、戦後は一般大衆にも広まり、1960年代には「パーマネントウェーブ(パーマ)」が大流行。
家庭用ヘアケア製品の普及とともに、美容院も急成長していきました。
■ 理容室と美容院の違いとは?
日本では長年、「理容室=男性向け」「美容院=女性向け」というイメージがありましたが、法律上でも厳密な区分があります。
理容師法と美容師法によって、施術内容に差が設けられているのです。
理容師は「頭髪の刈込み、顔そり、整髪など」を行い、美容師は「パーマやカット、化粧、結髪など」を行うとされています。
ただし、近年は「ユニセックスサロン」や「理美容両方の免許を持つサロン」も増えてきており、ボーダーは徐々に薄れてきています。
■ 現代のトレンドと未来へ
現代では、美容室も理容室も単に髪を切る場所ではなく、「自分を表現する」「癒される」「自信を持つ」ための空間へと進化しています。
とくにSNSの影響で、トレンドヘアの流行は加速し、ヘアスタイリストはアーティストとしての側面も強くなりました。
また、バーバー文化のリバイバル(復活)も見逃せません。
おしゃれなバーバーショップが世界中で人気となり、クラシックな刈上げやシェービングを楽しむ男性が増えています。
AIやテクノロジーとの融合も進んでおり、予約・施術・ヘアスタイルの提案までデジタル化が進んでいます。
今後はさらに「パーソナライズされた美容体験」へと進化していくことでしょう。
■ まとめ
理容室と美容院は、私たちの身だしなみだけでなく、社会や文化、技術の変化を映す鏡でもあります。
古代の宗教的儀式から、現代のトレンド発信地へ。
今も昔も、「人は誰かの手によって美しく整えられること」を求め続けているのかもしれません。














